薄目で見た朝焼けに何想う
cali≠gariの7期終了DVD商法にずっと嫌気が差していて、でも僅かに気持ちが落ち着いて来ました。
で、7期を聴いたらやっぱり最高過ぎて泣けて来る。
8期以降の曲も仮に誠が叩いたら全然違うんだろうな、聴いてみたいなと考えても仕方ないと分かっていても考えてしまう。
きっとこの不毛な堂々巡りは当分止められないのでしょう。
あまりにも耳に馴染んだcali≠gariの曲達も、あまりにも楽しかった記憶もある意味、呪いみたい。
7期を懐かしんで恋しがって縋り付く事を止められそうにないからその気持ちを肯定してきたけれど、それが呪いのような物の素の1つである事は分かってる、でも7期が特別で唯一無二な存在だったからこそ割り切れないんだ。
仮に7期を越える楽曲を彼等がこれから作ったとしても7期をあんな形で終わらせた事、7期終了DVDの阿漕な商法と青さんの呟きは現実に起こってしまった事なのだから、いずれにせよ前みたいな気持ちで楽しんだり泣いたりはきっと出来ないのに。
どうすれば良いのか、どうしたいのか分からない。
第6実験室直後、嫌な事があって友達に愚痴る時「もう本当あいつ187!」とか一時期よく言ってたな。
あれから14、5年経つんだなと思うと、甘酸っぱいと言うよりほろ苦い気持ちです。
気持ちは切り替えきれないけれど、MERRYのイベントが続々決まって戸惑っています。
新宿ブルースのcali≠gari直球なサブタイトル何あれ、cali≠gariカバーなんだろうけれど、いや、行きたいけれど行きたくない怖い、絶対に正気ではいられない怖い!!
でも行きたいセトリも気になるし青春狂想曲と冷たい雨はやりそうだけれど聴いてどんな気持ちになるのか見当も付かない、ああでも禁色とか僕は子宮とかガラの声に合うだろうな聴きたいなあ…。
その後すぐにテツバだし、しばらく考えなければ。
朝の部が何か知らないけれど、朝夜両方行くならばもしかすると2泊か往路夜行バス明け直で朝の部か、いや夜行バスは出来る限り避けたい、2500円未満なら我慢して一夜バスで過ごそうと努力はするけれど今日日そんな安い便少ないし、本当に御免被りたい。
遠征の予定考えるの楽しいな。
その前にハロウィン楽しもう。
記憶を手放してしまいたい
秋は別れの季節と言うけれど、思い返せばここ数年、辛い秋ばかりでした。
cali≠gari7期終了も、愛犬が亡くなったのも、前の恋人と酷い別れ方をしたのも、全部秋だった。
どれも、とても冷静ではいられない程胸を抉られたし、散々泣きました。
このまま冗談抜きで失う物が無くなる位に次々大切な存在との別れが来るのではないかと馬鹿馬鹿しい事を考えたりもしました。
失う物なんて何も無えよなんて使い古された台詞は言いたくないし、そんな経験もしたくない。
思えば上記全部、10年以上身近にあった存在でした。
cali≠gariは活休期間があるし、犬は天寿を全うしたと言える年齢だったし、元恋人は正確に言えば約10年間友人関係で、恋人期間は1年程だったのだけれど。
くよくよしても仕方ないとは分かっていても、マイナスの物事と向き合おうとしているのだから、くよくよするのも仕方ない。
「○○に比べたら大した事無いでしょう」という慰めや激励は、昔から大嫌い。
そう考えて楽になれるような事ならば、そもそも最初から大した事の無い出来事だと思う。
極論、その理論では世界一辛い人しか嘆いてはいけない事になってしまう。
上も下も見ればキリが無いし、その瞬間辛い事には違いないんだから。
酔いが回ってメソメソするの良くない、碌に飲めない酒を飲み過ぎたみたい。
いい加減寝よう、またねっ。
気付かぬうちにも時計は回りながら進むから
ラムフェスは良いイベントでした。
複数ステージで観る側も忙しかったしネロのDJを見逃してしまったのが心残りだけれど、充実していた。
cali≠gariの発表に色々掻っ攫われたので最早まともなレポなんて書けそうにないのですが、総合的に楽しめたのは本音です。
何よりも、cali≠gariの後にMERRYを観れて本当に良かった。
せんちめんたるにとても愛が感じられたし、きっとプレッシャー感じながら相当練習したんだろうな。
却ってMERRYで聴けて良かったとすら思いました。
一時期はいつか自分が死んだ時、火葬開始から納骨までエンドレスで流していて欲しいと思っていたくらいに好きな曲です。
平日のテツ以来のビニ本も最高でした。
健一がリードギターで荒ぶる姿がもう、あの子さっきあんなに哀愁ステージでプルプルしていたのにもう…!
セッションも盛り沢山に色んな人が出てきてくれたお陰で、余計な事を考えずに済みました。
マグロで味わえなかったお祭り気分が味わえたのも良かった。
もうあんな気持ちでマグロを聴くのは懲り懲りです。
研次郎が健一の肩に手を回して撮っていた写真、どこかに上がっていないだろうか。
ってか研次郎どきなさいよ、そこ私の場所だから
SMでガラとネロが「cali≠gariに負ける気はしないんで」と言っていたけれど負けてなかったよ、こういうのって勝ち負けではないんだろうけれど、少なくとも私は貴方達に救われました。
とは言え7期終了ライブ映像化発表でどん底に突き落とされてから、まだ立ち直れていないのだけど。
「直接俺に言ってみろ、いつでも一発食らわしてやります」と今でも言ってくれるのなら、一発でも二発でも食らわされても良いから一言でも二言でも言わせて欲しい。
ファンが満場一致で納得するメンバーチェンジなんて不可能だと思うけれど、あんなに愛されていた7期に後ろ足で砂をかけるような真似は無い。
12のDVDに心底がっかりしながらも、嫌いになるのが怖い、と言うかきっと嫌いにはなれないと思いつつこの2年で片手で数えて事足りる回数程度にライブに足を運んできた。
でも、限界かも知れない。
繰り返す、自問自答
7期cali≠gariのラストライブが映像化されるそうです。
気持ちの遣り場がありません。
何故このタイミング?とは思ったけれどカメラが入っていた事は知っていたし、嬉しい気持ちもありました。
製作期間だったり大人の事情だったり色々あるだろうし、得意の特殊装丁で出す事も数種出す事も俄かに予想は出来ました。
でも、売り方は駄目だ。
あまりにも、センスも配慮も感じられない、ただの阿漕な商売だ。
複数売りをドラマで揶揄しつつも狂信盤や良心盤と名付けて幾度となく自らも複数売りに乗っかってきたのは、彼等の遊び心も感じられて嫌いではありませんでした。
が、今回は使って欲しくなかった。
それでも狂信盤と良心盤はまだ良い。
傷心盤の文字に目を疑いました。
7期終了で悲しみや怒り、喪失感を嫌と言う程味わって、未だに払拭する事が出来ずにいるというのに、傷心という簡単な言葉で、それも言葉遊びのつもりで表して欲しくなかった。
明確な説明を避けたまま行動で示すべきと活動してきたと言うけれど、「cai≠gariを続ける為に抜けて貰った」という一言を、7期を好きで通っていたガリストが忘れる事はないと思うし、忘れたくても忘れられない言葉だと思う。
知る由も無いけれど、誠にもきっと原因はあったんだろうとは思います。
ただ、誠の目に触れる・耳に入るであろう可能性が充分にある、それも誠には反論出来る余地の無いツールで一方的に誠だけを悪者に仕立て上げるような発表をしておきながらそれを無かった事にしようとしているのは、解せないし納得なんて出来る訳が無い。
活動だって、ツアーを回って音源を出して、7期でやっていた事と明確に変わった事は何も無い。
明らかなのは、持ち味が薄れに薄れた音だけ。
ちょっとだけセンチメンタルなんて言葉で済ませて欲しくない、何度だって言うけれど悲しみや怒り、喪失感を嫌と言う程味わった。
2年経っても蹴りを付けられない気持ちを引き摺りながら、7期の思い出に縋る想いを肯定する事でどうにかその気持ちの角だけは取れてきたと思っていたのに。
僕の声が届かない。
つじつまを合わせるばかり。
振り返れば、影
ラムフェスが終わりました。
昨日はろくに眠れませんでした。
冷静なレポなんて書けそうにありません。
長丁場、総合的には楽しかったと思います。
ただ、何故私が今のcali≠gariを素直に追う事が出来ないのかを思い知らされたような気持ちでした。
勿論、最大の理由は7期終了の一連の出来事。
次に、今のcali≠gariの音に対して違和感が拭い切れないから。
本八幡の時は極力考えないようにしていました。
六本木は音の良さかPAの手腕か、いずれかのお陰か自然と考えずにいられました。
でも、今回は駄目でした。
誤解を恐れずに言えば、中西氏の演奏をどうしても好きになれないし、既存の曲もまるで別物のように聴こえてしまうのです。
決して下手とは思わない、寧ろ技術はあると思う。
でも、cali≠gariの音に心地良く合致しているとはとてもじゃないけれど感じられません。
きっとラウドやグランジ寄りのバンドであれば調和が取れるんだろうな、とも。
軽快さと重厚さが上手い具合に同居しているのが、cali≠gariの大きな魅力の1つでした。
それが、今ではドラムの音で前者が大幅に掻き消されてしまった。
重厚さだけが全面に出てしまい浮遊感も郷愁も薄れ、下手をすれば歌が始まるまで曲が分からない。
だから演奏に浸る事も、イントロを聴いて気分が上がる事も困難になってしまった。
8期以降の曲だって、メロを立たせきれていない為にのめり込めない物が多い。
昨日最もcali≠gariで耳心地が良かったのが、淫靡まるでカオスなでした。
打ち込みが主役とも言える曲なのに。
更に言えば、誠をあんな形で脱退させてまで臨んだ編成や曲作りで元来の持ち味をこんなにも薄味にしてしまって、それで良いんだろうかと何度も思いました。
嫌味でも何でもなく、今まで以上に前衛的で斬新な曲を作るようになるんだろうな、と思っていたのに。
ハイカラもやせゆく社会もゼリーも大好きな曲なのに、知らない曲みたい。
マグロで空元気なお祭り気分に浸れる事も、きっともう出来ない。
言うまでもなく中西氏には何の罪も無いし、色々な意味でやり難いであろうバンドで叩いてくれる事には寧ろ感謝しなければならない位だと思っています。
でも、気持ちが追い付けない。
ラムフェス前の記事でcali≠gariは普通に観ていられると思う的な事を書きましたが、駄目でした。
文句をダラダラ言いながら聴かないで下さい、と突き付けられたような気持ちでした。
7期始動とほぼ同時にガリストになった私にこの言葉が今では妙に刺さるって、なんて皮肉なんだろう。
上がり時が来たのか、少し考えなければいけないな。
以上、全て個人の感想です。
MERRY主催のフェスを観て真っ先に文字にせずにはいられなかったのがこんな掃き溜めのような記事だと思うと自分が嫌になるけれど、cali≠gariはそれだけ自分にとって未だに訴求力も影響力も絶大なバンドなんだな、と思いました。
それでも総合的には楽しかったと思えたのは、MERRYがいてくれたから。
これは後日。
知らないうちに、間延びした時間
ラムフェスまであと一週間も無いなんて信じられない。
SMから一ヶ月が経とうとしているというのも信じられない。
cali≠gariは7期終了以来何度か観ているし、平常心でとは言えないけれど、打ちひしがれる物がありながらも観ていられると思う。
問題はその後MERRYを観てどんな気持ちになるか、もっと言えばセッションを観て平常心でいられるのだろうか。
青さんとガラの対談を読む限り、セッションやりそうな気しかしない。
絶対に「何でここに誠がいないんだろう?」と思ってしまうんだろうな。
それはどう足掻いても避けられないので、今からそう思ってしまう自分に対する心の準備はしようとしています。
私はcali≠gariの中で特別誠が飛び抜けて好きという訳ではありませんでした。
石井加入がガリストになったきっかけだったので、石井ギャなのだとずっと思っていましたが、今思えばそうでもありませんでした。
事実、GOATBEDも音源は幾つか手元にあるけれど、ライブも数回行ってもう良いや、と思ったし。
何だかんだであの4人のcali≠gariが好きだったんだな、と。
だから仮に別の形で、それも綺麗に7期が終わっていたとしても、いずれにせよ私の求めるcali≠gariでなくなる事は揺るぎなかったのかも知れません。
ただ、今cali≠gariでドラムを叩いているのが散々噂に上っていたぶっちだったとしたら、俄かに想像は出来ないし、当初は実現したら嫌だと思った物ですが、多分また違った気持ちになれていたような気がします。
…うん、これ以上は取り敢えず良いや。
直前になって色々言うのはナンセンスだし往生際が悪いけれど、この気持ちは理屈じゃないんだ。
ただ、行くと決めたのは自分だし、行くからには楽しむしか無いとは思っています。
各ステージ、盛り上がると良いな。
月が肥大して、影が動きだす
音楽活動って大変だと思います。
何年も継続して活動するとなれば、尚更。
曲作りや練習も然る事ながら、人目に触れた活動をする以上は聴き手の求める物にある程度応えなければならないし、それが必ずしも自分が吉とする物と合致するとも限らない。
バンドであれば、良くも悪くも固定された少人数でありながら集団行動でもあるし、活動にしても音楽性にしても、これが正解と言える答えが出し難いからこそ、意見の食い違いやぶつかり合いは、結成当初にどんなに同じ志や価値観を持っていた同士であったとしても、絶対に避けられない。
以前チラッと書いたように、一時期調子こいてバンドをやっていた事があります。
と言っても箸にも棒にもかからない、全く大した事の無いアマチュアで、私個人は取り敢えずやってみようよ的なサークルに近いノリでした。
プロになろうとかそんな烏滸がましい事なんて考えず、漠然とやっていました。
楽しい瞬間も沢山あったけれど、しんどかったです。
安易な考えで臨んだからこそしんどかったんだろうな、と思う部分もありますが、何より人間関係と曲作りがしんどかった。
普段は穏やかなのに何故音楽の事になるとこんなに信頼関係破綻待ったなしな事が出来るのか、人にも自分にも厳しいのは良いとしてもそれ言ったら・やったら終わりじゃね?的な言動をする人、音楽には真剣です!と言いつつもスタジオではキャッキャウフフ、意見交換の場を設けても最終的には何故か自分の恋愛トークに持って行く人、イベントの共演者やスタッフを口説く人等、色々な人がいました。
私も今思えば大概、自分の考えを人に押し付けがちな所あったし。
でも、当時は渾身の出来と言える物や案は何としてでも押し通したかった。
曲が出来たは良い物の、アレンジに自分達のイメージが追い付けなかったり、ここまで固まったのにこの先がどうしてもピンと来る物が出て来ない、といった理由でお蔵入りした曲は幾つもありました。
神フレーズや神メロが降りて来たと思いきや、ある程度作り込んでいくうちに「これ、あの人のあの曲に似てね?」と無自覚にパクッていた事に気付いたりした日には発狂物でした。
横の繋がりで交流が生まれた人達の作る曲にも「これ、あの人のあの曲に似t」とどうしても過ってしまう物があったりして、でもそんな事言えない、言える訳ない、当たり障りの無い感想でお茶を濁しとこうと思う自分も嫌いでした。
流通してる曲でも「これ、あの人のあの曲n」と思う物ってそう珍しくないけれど、きっと無自覚にパクッてしまっての産物も少なくないと思う。
身を粉にする程の志も大した才能も無い平凡な人間がもう疲れた、やーめた、となる、ありふれたお話です。
量産型であろうと曲を作り続けていられるプロデューサー業の人も、あれだけ破天荒でも鬼才過ぎて周囲を認めさせるYOSHIKIも何だかんだで凄い人達であるのは、こんな根性無しが言うまでもない事だと思います。
それでも一丁前に言うけれど、目標や志があって音楽をやっている人達には、頑張って欲しいな、と思います。
取り敢えずスタジオ代何度も踏み倒したあいつは今でも許さん。