日陰者の夕べ

静かに暮らしたい隠れバンギャル

振り返れば、影

ラムフェスが終わりました。

昨日はろくに眠れませんでした。

 

冷静なレポなんて書けそうにありません。

長丁場、総合的には楽しかったと思います。

ただ、何故私が今のcali≠gariを素直に追う事が出来ないのかを思い知らされたような気持ちでした。

 

勿論、最大の理由は7期終了の一連の出来事。

次に、今のcali≠gariの音に対して違和感が拭い切れないから。

本八幡の時は極力考えないようにしていました。

六本木は音の良さかPAの手腕か、いずれかのお陰か自然と考えずにいられました。

でも、今回は駄目でした。

誤解を恐れずに言えば、中西氏の演奏をどうしても好きになれないし、既存の曲もまるで別物のように聴こえてしまうのです。

決して下手とは思わない、寧ろ技術はあると思う。

でも、cali≠gariの音に心地良く合致しているとはとてもじゃないけれど感じられません。

きっとラウドやグランジ寄りのバンドであれば調和が取れるんだろうな、とも。

 

軽快さと重厚さが上手い具合に同居しているのが、cali≠gariの大きな魅力の1つでした。

それが、今ではドラムの音で前者が大幅に掻き消されてしまった。

重厚さだけが全面に出てしまい浮遊感も郷愁も薄れ、下手をすれば歌が始まるまで曲が分からない。

だから演奏に浸る事も、イントロを聴いて気分が上がる事も困難になってしまった。

8期以降の曲だって、メロを立たせきれていない為にのめり込めない物が多い。

昨日最もcali≠gariで耳心地が良かったのが、淫靡まるでカオスなでした。

打ち込みが主役とも言える曲なのに。

 

更に言えば、誠をあんな形で脱退させてまで臨んだ編成や曲作りで元来の持ち味をこんなにも薄味にしてしまって、それで良いんだろうかと何度も思いました。

嫌味でも何でもなく、今まで以上に前衛的で斬新な曲を作るようになるんだろうな、と思っていたのに。

ハイカラもやせゆく社会もゼリーも大好きな曲なのに、知らない曲みたい。

マグロで空元気なお祭り気分に浸れる事も、きっともう出来ない。

言うまでもなく中西氏には何の罪も無いし、色々な意味でやり難いであろうバンドで叩いてくれる事には寧ろ感謝しなければならない位だと思っています。

でも、気持ちが追い付けない。

 

ラムフェス前の記事でcali≠gariは普通に観ていられると思う的な事を書きましたが、駄目でした。

文句をダラダラ言いながら聴かないで下さい、と突き付けられたような気持ちでした。

7期始動とほぼ同時にガリストになった私にこの言葉が今では妙に刺さるって、なんて皮肉なんだろう。

上がり時が来たのか、少し考えなければいけないな。

 

以上、全て個人の感想です。

MERRY主催のフェスを観て真っ先に文字にせずにはいられなかったのがこんな掃き溜めのような記事だと思うと自分が嫌になるけれど、cali≠gariはそれだけ自分にとって未だに訴求力も影響力も絶大なバンドなんだな、と思いました。

 

それでも総合的には楽しかったと思えたのは、MERRYがいてくれたから。

これは後日。