日陰者の夕べ

静かに暮らしたい隠れバンギャル

月が肥大して、影が動きだす

音楽活動って大変だと思います。

何年も継続して活動するとなれば、尚更。

曲作りや練習も然る事ながら、人目に触れた活動をする以上は聴き手の求める物にある程度応えなければならないし、それが必ずしも自分が吉とする物と合致するとも限らない。

バンドであれば、良くも悪くも固定された少人数でありながら集団行動でもあるし、活動にしても音楽性にしても、これが正解と言える答えが出し難いからこそ、意見の食い違いやぶつかり合いは、結成当初にどんなに同じ志や価値観を持っていた同士であったとしても、絶対に避けられない。

 

以前チラッと書いたように、一時期調子こいてバンドをやっていた事があります。

と言っても箸にも棒にもかからない、全く大した事の無いアマチュアで、私個人は取り敢えずやってみようよ的なサークルに近いノリでした。

プロになろうとかそんな烏滸がましい事なんて考えず、漠然とやっていました。

 

楽しい瞬間も沢山あったけれど、しんどかったです。

安易な考えで臨んだからこそしんどかったんだろうな、と思う部分もありますが、何より人間関係と曲作りがしんどかった。

 

普段は穏やかなのに何故音楽の事になるとこんなに信頼関係破綻待ったなしな事が出来るのか、人にも自分にも厳しいのは良いとしてもそれ言ったら・やったら終わりじゃね?的な言動をする人、音楽には真剣です!と言いつつもスタジオではキャッキャウフフ、意見交換の場を設けても最終的には何故か自分の恋愛トークに持って行く人、イベントの共演者やスタッフを口説く人等、色々な人がいました。

私も今思えば大概、自分の考えを人に押し付けがちな所あったし。

でも、当時は渾身の出来と言える物や案は何としてでも押し通したかった。

 

曲が出来たは良い物の、アレンジに自分達のイメージが追い付けなかったり、ここまで固まったのにこの先がどうしてもピンと来る物が出て来ない、といった理由でお蔵入りした曲は幾つもありました。

神フレーズや神メロが降りて来たと思いきや、ある程度作り込んでいくうちに「これ、あの人のあの曲に似てね?」と無自覚にパクッていた事に気付いたりした日には発狂物でした。

横の繋がりで交流が生まれた人達の作る曲にも「これ、あの人のあの曲に似t」とどうしても過ってしまう物があったりして、でもそんな事言えない、言える訳ない、当たり障りの無い感想でお茶を濁しとこうと思う自分も嫌いでした。

流通してる曲でも「これ、あの人のあの曲n」と思う物ってそう珍しくないけれど、きっと無自覚にパクッてしまっての産物も少なくないと思う。

 

身を粉にする程の志も大した才能も無い平凡な人間がもう疲れた、やーめた、となる、ありふれたお話です。

量産型であろうと曲を作り続けていられるプロデューサー業の人も、あれだけ破天荒でも鬼才過ぎて周囲を認めさせるYOSHIKIも何だかんだで凄い人達であるのは、こんな根性無しが言うまでもない事だと思います。

 

それでも一丁前に言うけれど、目標や志があって音楽をやっている人達には、頑張って欲しいな、と思います。

 

取り敢えずスタジオ代何度も踏み倒したあいつは今でも許さん。